ストリップクラブの調査 1/2

レポート: アメリカンストリップ・クラブ 1/2

英語版

本レポートでは、アメリカの伝統とも言える文化であるストリップ・クラブについてそのデライトと可能性について書き留めました。レポート目的は、アメリカの水商売の素晴らしさを探索することに加え、ストリップ・クラブで働く女性のプライベートについて調べることです。

2026年1月21:着陸

フィリピンの首都マニラを離れてアメリカのロサンゼルス国際空港に到着。折りたたみ式自転車が飛行機から積み下ろされるのに異常に長い時間がかかった。待っている間にスマホのアプリを開いて、ショートビデオを見始めた。いつも何も考えずに動画を次から次へとスクローリングするだけなのに、この時は一つの動画に妙に惹かれた。動画はあるストーリーを語る、長いものだった。内容は、男がストリッパーと出会って、付き合い始めて、同棲し、共にドラグにハマってしまい、家を失ってしまった話だった。男はかれこれ5年間もそのストリッパーと付き合ったとのこと。そんな話だった。どうでも良い話だが、最後まで動画を見る様な、ものすごく引きつけられるアメリカン物語だった。そして、もしかすると何らかの前兆なのかも知れない。

***

初めに、僕自身のストリップ・クラブの経験に関して。

18歳の時、高校を卒業してロンドンを離れて一人でハワイへの片道航空券を買って旅立った。ロンドンでは僕の様なハーフは少なく、ハワイならば日本人と白人の混血が多いと思い込んで、今では考えられない動機を持って、誰一人知らないアメリカの離島へ移住したのです。到着したその夜、空港からワイキキのクヒオ通りに何とか辿り着いて、夜道を歩いていたら二人の20代の白人女性に声をかけられた。「私たちとパーティーしない??」と。簡単すぎると思ったら、実に二人の女は売春婦で、それを知った僕はビビって速やかに場を離れました。

何がなんだかわからない、アメリカン・カルチャー。ある夜、クヒオ通りのセブン・イレブンでボーッと立ち止まっていたら、突然中年の白人女性に声をかけられました。「ねぇ、私とストリップ・クラブへ行ってみない??」と。少し勇気を持てたので、「OK」と言って彼女に着いて行きました。場所はクヒオ通りの地下にあったストリップ・クラブ。そこで初めて幼い僕はアメリカン・カルチャーと女性の本能的魅力に晒されました。

20年前のことですが、まだよく覚えています。大きな四角形のテーブルの周りに無名の男達がズラーっと揃って座っていた。テーブルは実はステージで、中央にポール一本が立てられていた。僕を招待してくれた女性の案内に従って、テーブルの周りのスツールに席を取った。部屋は暗かったが、赤いネオンの蛍光灯が各水平線に設置されている、落ち着いたクールな環境。座った数秒後に、アーティストは知っているが、未だ聞いたことのない曲が流れ出した。50 Centの Somebody’s Gonna Die Tonight という曲。重低音が強力に鳴り、身体の奥にまで響いた。奥部屋からステージへ気合いを入れて飛び出てきた女性は下着のまま、透き通るプラ性のプラットフォーム・ヒールを履いていた。彼女はこのダークな曲に合わせて腰を振って、脚を投げ出し、ブラを脱ぎ、Tバックを脱いで客をうっとりさせた。横を向いてみたら、僕を連れてきてくれた中年女性もこの芸を存分に楽しんでいることを確認して、ほっとした。ダンサーは様々なポーズを見せてくれた。一人だけやたら若い客が来ているのに彼女は気付いたようで、ドル札をまだ投げていない僕に注意を向けて、踊りでアタックしてきた。すると彼女は女性器を僕の顔面の前にまで突きつけてきた!その時に僕は初めて女性の神聖な香りをかいだのであった。童貞ではなかったが、異性との経験は浅く乏しく、彼女を持ったこともなかったので、ハワイのワイキキのストリップ・バーで初めて女性器の魅力を知ったとも言える。

それ以来、ストリップ・バーへ行くことは滅多になかったです。こうやって女性に無駄にお金をかけることは負け犬がやることだとアメリカの先輩方から教えてもらいました。「若い頃は年上の女と遊べ。色々教えてくれる。そして年を取って金を貯めたら若い女と遊べ」と。これらは的確なアドバイスですが、それでもあの初めてのストリップ・バーの経験は僕の記憶に確かに刻まれ、印象を残した。

その10年後、ユーラシアン・オデッセイで登場した女衒弟子の友人「ケンティー」と縁ができて、再び水商売の世界に紹介された。今回は東京で。ケンティーはそっち系の会社を通して、立ち上げの独立英会話講師の僕に最初の契約を預けてくれた恩がある。それは、彼が務めていた会社の従業員に英語研修を実施すること。渋谷の裏に狭い事務所があり、そこには華やかな夜の日本人女性が何人も待機していて、客を待つ間に英会話教室を実施する任務が僕に与えられました。

僕は単なる英語を教えることは好まず、自分なりに文化的で面白い英語研修を導入してみました。それは性的技術英語などではなく、Striptease (ストリップ+じらし)を教えること。僕自身が服を脱いで踊るのではなく、受講生にストリッパーの動画を見せて、模倣させる研修。日本の法律ではデリヘルは性器の挿入が起こる行為は違法なので、少なくとも表面上、女の子達は別のアクションで客が満足できるサービスを提供しなければならない。従って、ラブホテルにあるソファや椅子で Striptease を模倣してみるのはどうかと提案し、受講生に訓練させました。体に自信のある女性はこの研修を通して新たな超能力的な女子力を手にして非常に喜びましたが、恥ずかしがり屋の子もいました。

ケンティーと夜中に出掛ける際はストリップ・クラブへ行くことが多かったです。大阪への出張では幾つものストリップ・クラブが集中する「アポロビル」へも行ったし、東京の「タントラ」にも行きました。アポロビルでは、30人くらいの女性が服を脱いで僕たちを囲い込みました。皆綺麗で魅力的な女性だったが、どうしても質より量を優先している印象を受けて、運営側はイマイチ女性の真の魅力を理解していないと思った。最終的にはあまりの女性の数にうんざりして「もういい!!」と言いながら店を飛び出て行きました。

この点、アメリカのストリップ・クラブの方が女子力の源を理解していると言えます。ただたくさん若い女性を集めて、並べて踊らせたりしても、それぞれの子の個性と魅力が失われてしまい、最終的に互いに競争させ互いを打ち消し合う結果に至ってしまいます。

そして2020年にコロナの真っ只中日本を離れて世紀末の自転車旅を始めた僕は、旅先でもストリップ・クラブへ行くようになりました。頻繁に行ったわけでもないですが、親しみ易い環境で現地の女性と交流し、情報入手や、ローカルの空気を把握するためには便利でした。アルバニア、ブルガリア、ウクライナ、フィリピンなど。

ヨーロッパのストリップ・クラブはアメリカの真似をしながら、店の内装や価格設定でそれなり高級なサービスを提供していることをアピールする。しかし音楽のテイストは全然ダメで、落ち着ける様な環境ではなかった。ましては、女の子はアメリカのように完全脱衣をしません。よって、ヨーロッパのストリップ・クラブはあくまで情報入手の目的で行って、アメリカほど楽しめた思い出はなかった。

しかし、フィリピンではまた違うような経験をしました。

Thriller in Manila (2026120)

本レポートの文頭に書いた、ロサンゼルス国際空港に着く前に、フィリピンのマニラにいました。マニラに居た理由は、東京からロサンゼルス行きの直行便に乗り遅れてしまったため。だが、飛行機を見逃してしまった僕はそんなに焦らなかった。何故なら、飛行機をミスったおかげで、別の便を手配して友人に会えるから。

東京から台北へ飛び、台北からフィリピンの首都マニラを経由するロサンゼルス行きの航空券を購入した。マニラにはケンティーが住んでいる。彼はユーラシアン・オデッセイ第一巻の章:「コロナ負け組の編」でボロクソに馬鹿にされて、コロナにより散々な目に合った。職を失い傷ついてしまった彼は僕を2年以上 SNS でブロックして、一切連絡がなかった。ケンティーはコロナで全てを失ってしまった。仕事も、自尊心も。彼はユーラシアン・オデッセイの冒険への嫉妬のあまりに、真夏に東京から四国へ飛んで数週間森の中を重たい鞄を背負ってお遍路をしていた。オデセウスに対抗できる、彼が模倣可能な歴史上キャラが空海という、僕には理解不能な選択を取ったみたいだ。いずれにせよ四国の森を存分にグルグル回ったあと、ケンティーは人生とキャリアを立て直さなければならない現実に直面したので、彼の邪魔をせず、僕をギャフンと言わせられる立場になったら連絡がいずれ来るだろうと信じて、そーっとしてやっていた。そして、ついに2026年の新年に2年ぶりにケンティーからメールがあった。ようやく僕と同等の目線で関われると思ったようだ。きっと順調なんだろう。

僕が選んだ航空券はマニラで8時間の乗り換え時間があった。マニラに着いたら空港を出てケンティーが住むコンドミニアムのロビーで落ち合った。とても良い再会だった。久々にこの野郎に会う。太ったのではないかと思っていたが、彼はスラっとしていて体調は良さそうだった。相変わらずガキっぽく、僕と遊びたがっていた。まず彼のマニラでの新しい事務所を訪問して(日本のデリヘルのコールセンター下請け)、中華料理店で麻婆飯豆腐を食べてからトランプ・タワー内のお洒落なサロンで髪を切ってもらった。そのあと、彼が得意とするマニラの歓楽街に連れて行ってもらった。

Burgos通りのMAISONというバーに17:30頃に入った。ストリッパーが踊れるステージがあったが、ストリッパーは一人も踊っていなかった。客は一人もいなかった。僕達はまっすぐ奥のソファに向かって席を取ったら、すぐに無数のトップレスなフィリピン人女性が群がってきた。3人の女が僕を囲んだ。その内 2人はかなりの凡人で、正直言って不要だったが、1人はすごくセクシーで、30代前半の信じられないほどぷりぷりした胸と良い香りの持ち主だった。この子は僕の太ももに女性器をこすりつけてきたが、僕は特に何とも言わず、ただ運試しをするつもりだった。可愛い方の女は僕の左足に、他の二人は僕の右足にしがみついた。彼女たちが一斉にドリンクとチップを求める一方、僕は一切反応せず、何も言わず彼女たちのおっぱいを揉み始めた。彼女達の絶えない請求を全て無視し、ただ乳首をこすったり、香りを嗅いだりした。そうしていたら、彼女たちは僕の股間を触り、中が固まった。彼女達は僕のズボンに手を入れてきてが、抵抗しなかった。僕は促してみた。履いていたズボンから棒をその場で出して、可愛い方の女の子の眼を見つめて舐めるように身振りで示したが、彼女は舐めなかった。しかし他の二人はその場で、バーのど真ん中で僕の棒を舐め始めた。50センチほど左に座っていたケンティー自身、4人の娼婦とバーテンダーに囲まれていた。彼はまだ僕に何が起こっているのか気付いていなかった。僕は可愛い方の女の子「アップル」と再び眼を合わせて、彼女も舐めるように言い、さらに、彼女だけが欲しいと言った。アップルは僕の股の間に跪いて、その場で僕を舐め始めた。

この時点でケンティーはやっと僕の方を向いて、バーに入ってから約3分以内に3人の女の子が僕の棒を舐めていることに気付いた。彼の大きな眼は興奮と恐怖で顔面から飛び出そうだった。恐怖というのは、僕のポケットには100ペソ(250円)しか入っていないことを彼は知っていたからだ。勘定は彼が支払わなければならないことを知ったからだ。

アップルはとても魅力的な女だった。そして、彼女との交渉は中々面白い。常にチップとドリンクをせがんでくる。僕は決して譲らないが、「No」とは絶対に言わない。僕の交渉戦略は極めて単純。ひたすらはぐらかして、同時にボディタッチをエスカレートしていくだけ。相手は女だし、この状況では既に彼女達は大きくコミットしている。さらに彼女達は既に互いとの競争で互いの交渉力を打ち消し合った上、しかも、現金を持っていない僕の方に飛びついてきたのだ。このバーに30分ほど居た間、僕はセックス以外、あらゆることを公然とその場でやった。ウェイターが僕に勘定書にサインするように促したが、拒否した。これは、初心者から高額請求で金を騙し取る罠だ。

一方、ケンティーはその勘定書をサインし、4000ペソを払わされた(1万円)。アップルには持っていた唯一のお金(100ペソ)を渡すと、彼女はがっかりして日本円が欲しいと言った。僕は彼女のことを欲したが、すぐこの後に飛行機に乗ってアメリカへ行くので次回まで取っておくと約束した。記念に1000円札を一枚だけ渡したら、彼女はすごく喜んでいた。さらにアップルは電話番号を教えてくれて、二人きりで会おうと誘ってくれたら、お別れの挨拶として同僚たちの目の前で、公然に跪いて僕の棒を再びしゃぶり出した。

バーを出たらケンティーはショックのあまりに圧倒されていた。彼は娼婦たちの闇の術を職業にしているはずなのに、たかが英語講師の僕に3人の女からほぼ無料でフェラチオしてもらったことに有頂天になっていた。今までこんなことは見たことがないと。僕は笑いながら、本格的な調査研究にはいかなる限界を押し広げる責務があることと、娼婦たちを急かして試すことに尽くしているだと説明した。

MAISONでの一連の出来事の興奮に浸りながら、ケンティーが住むコンドミニアムへと僕たちはマニラの夜道を歩いて行った。この夜はケンティーのおごりだった。「タダでフェラチオさせてもらってありがとう」と彼をからかいながら、この状況がどのようにエスカレートしたのかを一緒に分析した。まず、女達がすぐに僕の体に触りついた時からこっちが有利だったことを説明した。触られたら触り返せば良い、単純なことで、女を興奮させる愛撫と、常にエスカレートするボディタッチが効いたのだった。その結果として、娼婦が持つはずの商売上のルールや交渉の立場など、全てが無効となった。どうやらこれが娼婦との有利な付き合い方のようだ。

何も分からないケンティーは仙人の英知で得意そうに「俺のスタイルは娼婦に必ず『No』と言うんだ!」と勝手に説いていたが、実際、彼が「No」と言っている間、彼は僕の勘定を払い、僕はフェラをほぼタダでもらう羽目になった。

マニラはまさにスリラーだった。結局のところ、僕たちは皆人間であり、水商売とはいえ商売上のルールとは人間の本能と比べて優先順位が劣る。他のバーでももっと色々な戦略を試してみたい。

20251016日:Clermont Lounge 1

本レポートを開始した3ヶ月前の2025年10月に時計を巻き戻します。ユーラシアン・オデッセイを営業推進するためにアメリカに来た。ミシシッピ州出身のお世話になっているおばさん「レイラーニ」と車に乗って、彼女の知り合いに会いながら本を押し売りする車旅にミシシッピ州から東海岸のニューヨークへと出向いた。長い道の途中、気になる場所がアタランタ市にあり、84歳のレイラーニを連れてストリップ・クラブへ行くことにしました。レイラーニはこんないかがわしい経験をしたことがないといって猛烈に反対したのだが、僕は喜びを与えるものの調査をしたいのだと主張し、無理矢理ジョージア州アタランタ市の代表的なストリップ・クラブ「クレアモント・ラウンジ」へレイラーニを連れて行った。

入場料は10ドル。ビールは4ドルと安目に設定されている。扉を開くと、美しい、小柄で真面目な表情の白人女性が、流れるような髪をなびかせながらステージに手足をついて尻を振っていた。客はしわくちゃになった1ドル札をステージ上に投げ込んでいた。音楽は最高だった。まさに僕の好みな曲ばかり。20年前にハワイで初めて行ったストリップ・クラブを思い出させる場所だった。Toolなどロック音楽も流れれば、90年代のラップも流していた。音量もちょうどよく、会話もできる。

ステージ上で踊っていた白人女性(クレオ)に、パフォーマンスの最後の1ドル札を豪快に彼女の方向に投げた。彼女はそれに気付き、ダンスが終わった後僕のところに来て、挨拶をしたら20ドルのプライベートのラップ・ダンスを提案してきた。店に入ったばかりだったから、一度落ち着いたらダンスしてもらうことを約束した。

ステージに登って踊る他のストリッパーは本当にひどかった。だらしなかった。クレオはすべてをさらけ出して、完全ヌードで踊ったが、他の女はその半分の努力もせず、ブラを脱ぐことさえしなかった。とても老けて顔もひどかった。中には肥満なストリッパーも、高齢なストリッパーもいた。

いずれにせよ、クレオのプライベート・ダンスは店の奥のテーブル席で行われた。客の僕は席に座り、クレオは僕の前に立ち踊ってくれた。最高だった。これは「ラップダンス」と言う。その前に15分くらいクレオと会話をしたが、ダンスはたったの5分間だった。とても誠実そうな子で、ユーラシアン・オデッセイの旅と本や、サルデニアのオリーブオイルやワインについて話した。この店はカジュアルで親しみやすい雰囲気を提供していた。多くの女性客も来ていて、音楽に合わせて彼女たちも踊りを楽しんでいた(服は着たままだったが)。僕はこの夜、クレオから2回のラップダンスを受けた。

1回目のプライベートダンスが終わったら、クレオのことが気に入ったので、一緒に連れてきたレイラーニのためにも踊ってくれないか頼んでみた。クレオはOKと。店の反対側に居たレイラーニにこの提案をしたら、猛烈に嫌がっていた。84歳の黒人おばさんは、あの細くて若い白人女性の裸のラップダンスは絶対に嫌だと。「私はレズビアンではない!!」と怒った。仕方がなく、代わりに偵察に行ってくれないかと依頼した。レイラーニは、全てのストリッパーは虐待・迫害を受けているからこんな仕事をしているのだと勝手に思い込んでいる、典型的なアメリカの南のおばさんだ。女性同士なら嘘はつかないだろうと思い、クレオは本当にそうなのか確かめてみてきてくれと言った。しばらくしたらレイラーニは戻ってきて、クレオがこの仕事をしている理由は3人の子供を支えるためと、看護師になる資格を得るための学費を稼ぎだという。

それにしてもクレオは魅惑的な女性だった。特に他のストリッパーがシャレのように醜かったから、余計そう感じる。店の運営者はまるであらゆる種類の醜さの極端な例を集め、そこにたった一人の美しくて小柄な、完璧な体型の若い白人女性を冗談半分で混ぜ込んだかのようだった。

ステージに投げ込まれる1ドル札の枚数を数えようとした。一番見た目が悪く、だらしない年配のストリッパーは3曲踊って25~30ドルくらい稼いでいた。悪くはない。

クレオの場合、あまりにも彼女が魅惑的だったので、ステージに投げられたドル札を数えることすらできなかった。それだけ見惚れてしまう。後で別の白人男性がクレオからラップダンスを受けているのを見たが、その男は酔っ払っていて、クレオの尻を触り続けていた。彼女は明らかに不快そうにしていた。男に触るなと注意していた。難しいところだ。美しい女性はあまりにも魅力的で、札を数えるといった単純なことさえできなくなる。クレオのピンと張った乳首、美しい体型と髪、華麗な体の動かし方、そして何よりも彼女のから漂ってくる女性器の香りから目と手と鼻を離すことができないのだ。

夜遊びが終わり、クラブの外に出た瞬間、僕は深い恥ずかしさに包まれた。なぜならば店の中での自分の動向に困惑したからだ。裸で踊る女にずーっと見惚れたり、女に金をつぎ込んだりするような、どうしようもない連中と僕は何ら変わらないことに気づいたから。奴らと同じなのか、僕は。もっと別の接し方があるはずだ。その方法は何だろう?それを知りたい。

翌日、スタバでレイラーニと話し合いながら報告会議をし、ストリップ・クラブの訪問でいくつかの教訓があったことに目覚めた:

・クレオからは間を開けて2回ラップダンスをしてもらった。2回目のダンスを受けている途中、僕の体は硬直してしまっていた。その理由は、1回目のダンスを終えたら、酔っ払いの白人男性がクレオにラップダンスをしてもらっていたのを見て、男は完全にクレオに魅了され、楽しみのあまりに眼をギラギラさせて、クレオの尻に手をつけて、それを彼女が嫌がっていたのを目撃したのだ。それが僕を緊張させた。なぜなら、この店は彼女の職場で、ルールを決めるのは店側。普段ならば、僕は男として好きなようにボディタッチをする。しかしこういう店では僕は一人の客として、店に勤める女のルールに合わせなければならないと、勝手に思い込んでしまったのだ。

・しかし1回目のラップダンスをしてもらった時、僕はそんなルールなど気にせず、踊るクレオの脚を愛撫し、彼女はそのお返しに尻を僕の胸板に擦りつけて音楽に合わせて踊っていた。2回目のラップダンスでは、酔っ払いの白人男性のボディタッチを彼女は嫌がっていたのを見たため、その影響を僕は受けてしまった。2回目のラップダンスで僕に尻を向けて踊るクレオの脚を一瞬だけ触ったら、「あ、ごめん!」と叫んだ。その瞬間、クレオは踊りを一瞬止めて、振り向いて「なんで謝るの!?」と、不思議そうな顔で僕に言った。つまり、彼女は僕に触ることを許してくれていたのではないかという、意味かも知れない。もしかしたら彼女は客を選んで触らせたり、拒んだりしているのではないか?

・2回目のラップダンスでは、僕は全くクレオに触らなかったというか、触れなかった。その理由を突き止めてみた。それは、クレオと店のルールを恐れ、過剰に尊重していたからではないか。店外ならば僕は常に、積極的に、ボディタッチの限界を押し広げようとする男。本来はクレオのお尻を軽く叩いたり、彼女の性器に息を吹きかけたり、好きなように彼女を抱き寄せたりすることをしていたのに、店内では僕は緊張のあまりに硬直してしまっていた。よって僕は自分自身の中でも、彼女の目の中でも、小さく見えてしまったのではないか。

これらの教訓を持って、僕はレイラーニと車旅を続けてニューヨークへ向かった。この夜の出来事は僕を覚醒させ、いずれ Clermont Lounge に戻り、ストリップ・クラブの調査を完成させることを決心した。

投入金額:$40
累計:$40

202627Clermont Lounge 2

ユーラシアン・オデッセイの販売機会を作り、アメリカの教育機関で一連のレクチャーを実施する予定を立てた。ロサンゼルスに到着して、大型預け荷物の折りたたみ式自転車を待っている間、本レポートの文頭に書いたショートビデオのストリッパーの話を聞いていた。そしたら、動画が終わると同時に予定していた販売機会のはずのユーラシアン・オデッセイのレクチャーが全てキャンセルされたという、残念なメールが届いた。

落ち込んだ僕は、ロサンゼルスの停滞を離れるためにアムトラックの電車に乗って西海岸から東へ向かいながら、取り敢えず目先の調査文の業務に集中することを決心した。そうやって僕は新たな冒険心に没頭し、アムトラック鉄道の回数券を買って、アムトラック・セオリーのレポートを書き上げた。アメリカを西から東へゆっくり電車で移動し、ミシシッピ州に辿り着いた。ミシシッピにはレイラーニの家があり、数日間泊まらせてもらった。彼女は僕のアメリカでの活動を心から応援していて、豊富な人脈を通して僕を助けてくれている。1950年代にアメリカ南部の公民権運動に深く関わった方で、白い布で顔を隠す差別主義者・テロリストのクークラックスクランを克服し、人種的差別の撤廃を勝ち取った公民の中の一人だ。僕のキャンセルされたレクチャーも全てミシシッピでやる予定だった。しかしレクチャーが取り消されてしまったため、ミシシッピに長期滞在する理由がなくなった。ここからアタランタまで電車一本で行けることは、すでに知っていた。戸惑いは無かった。昨年の10月16日に出会った、妖精のようなストリッパーのクレオのお店を再び訪問し、ストリップ・クラブで働く女の秘密を知りたかった。

2026年2月7日土曜日の深夜にアタランタに電車で到着した。折りたたみ式自転車を素早く組み立ててからホテルへ向かった。もう00:00時半。チェックインを済ませて荷物を部屋に納めたら、すぐにチャリを出して、Clermont Loungeへ向かった。土曜日の夜は相当混んでいて、入場料は$10から$25に引き上げられていた。入り口の扉を開けたらまたもやクレオが目の前のステージで踊っていて、彼女の華麗な芸を集まった観客は皆見ていた(この夜は100人くらい入っていた)。踊りを終えた彼女はダンサーの待機室へ分厚いヒールを履いて僕の前を歩いて通って行った。その時に一瞬目が合ったが、互いに何も言わなかった。クラブの中は暗いが確かに同じクレオだった。果たして彼女は僕のことを覚えているだろうか。

しばらく待っても待機室から出てこないから、指名でセキュリティ・スタッフに彼女を呼び出させた。プライベートダンスを求めている客がいると。クレオは待機室から出てきて、僕のところに来た:

J:「やぁ。久しぶり。覚えてる?」

クレオ:「うん!覚えてるよ!元気?また来てくれたんだ!アタランタに住んでるの?」

J:「いや、俺は世界一度を回ってきてからアタランタに戻ってきたんだ。」

クレオ:「あーそうよね!バイクだったよね?」

J:「いや、チャリだよ。」

クレオ:汗汗「あー、はいはい!」

J:「では、踊ってもらおうか。」

彼女は少し緊張した様子だった。さっき僕を通り過ぎた時に多分見覚えのある男だと認知したのだろう。僕のことをストーカーだと思っているのだろうか?ストーカーかどうかはその男の魅力と不快さによるが、僕は彼女に用があった。連続で3回ラップダンスをしてもらって、$60手渡した。クレオはラップダンス中に客と話すのを好むようで、僕達は会話をしながら緊張を少しずつほぐしていった。

J:「実は俺は調査をしにここに戻って来たんだ。前、君に初めてラップダンスをしてもらった時に、君の脚に思わず触れてしまって、謝ったこと、覚えている?その時君は、何故謝るのか俺に聞いた。それを疑問に思ったんだ。一体、この店のルールとは何なのかと。そして、俺の次に酔っ払った白人男性に君がラップダンスをしていた時に、彼は君の体を触ろうとしたが、君はそれを嫌がっていた様子を俺は観察していたんだ。一体、ルールは何なのか不思議でしょうがなかったんだよ。それを確かめにここに戻ってきたんだ。」

クレオ:「あーそうなのね!ルールは基本的にボディ・タッチはダメよ!でもそれは店や女の子が決めてるのじゃなくて、州政府が定めているのよ。売春の法律的定義は各州によって異なって、ボディ・タッチは売春の勧誘とみなす州もあれば、もっと緩い法律の州もあるよ。」

クレオは5分間、いろんな州の法律を説明してくれたが、情報量の多さでついていけなかった。

J:「すごく物知りだね。」

クレオ:「私はもう12年間もこの業界で働いていて、40軒以上のストリップ・クラブで務めたからね。18歳の時に始めたのよ。」

J:「へぇ。君は24歳くらいだと思ってたよ。」

クレオ:「いいえ。私はもう今年で30歳になるよ。」

J:「ここで引退するまで働くつもりなの?」

クレオ:「いや!私は私なりに個人的なゴールを持ってるわ。金銭的なゴール。恋愛ゴール。キャリアのゴールなど。看護師の資格を取得しようとしてるのよ。でも大変だわ。6年前にドラグと酒のせいで精神的に正気を失ってしまって。。。でも今は何とか立ち直ったのよ。」

J:「そうか。いや、君とこうやってフランクに話せることを期待してここに戻って来たんだ。よかった、よかった。まぁ、それだけじゃないけどね。ところで、君の電話番号を教えてくれるか聞いたとしたら、どう言う?」

クレオ:笑「えーーー。。反対はしないわ!」

J:「じゃあ、教えてくれない?」

クレオ:笑「うーん。。。インスタならいいわ!」

クレオとインスタを交換し、その夜ホテルに戻ったらメッセージを送ったが、返事は無かった。翌日日曜日は店が休みで、彼女から連絡がないからアタランタを離れて次の目的地へ行くことを真剣に検討したが、とりやめた。僕は仕事のためにここに来ている。調査のために。目的をまともに果たそうとせず退くなんてあり得ない。よって何の保証もないのに、アタランタの滞在を延長して、翌日月曜日の夜に再びClermont Loungeへ向かった。

投入金額:$60
累計:$100

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月曜の夜はガラガラだった。僕以外に客は4人しかいなかった。クレオは働いていた。彼女がステージに登って僕のことを見たら「Hi!」と呑気に挨拶をした。綺麗に小さく折ったドル札を彼女に投げて、見事にクレオの額に的中した。可愛らしく痛そうなふりをして、クレオは芸を始めた。その後、僕に挨拶をしにきて、少し気まずくトークしていたら、ちょっと待ってと、彼女はダンサーの待機室へ入って行った。ラップダンスをしてくれないのかと思って、30分以上待っていたら、クレオは待機室から出て来て、再びステージに登って踊り出した。予め買っておいた、彼女への土産をポケットから取り出して、チャンスを待った。クレオがステージ上で跪いて股を開いて踊っているところに大きな袋をドーン!とステージの上に投げた。びっくりしたクレオは袋が何か見て、それはGODIVAのチョコレートだと気付き微笑んだ。早めのバレンタインだ。

芸を終えた彼女は僕の隣の席に座って、ゆっくり話した。ラップダンスは僕の方から彼女に求めた。今度は完全に攻める体制を取った。ラウンジの奥へ二人で行った。僕の前に立ちクレオはブラとTバックを脱いで踊り始めた。彼女の小柄な体をモロに掴んで、尻を時には軽く、時には強く叩いたり、彼女の華やかな香りを嗅いだ。一時、僕は席から立ち上がり、立ったまま彼女に踊らせた。クレオはプリプリのお尻を僕のもっこりした股に音楽に合わせながら擦って、互いを感じさせた。そこで彼女は初めて「ごめん、落ち着いてください」と僕に警告をした。「どこまで可能なのか知りたかったんだ」と言った。「私自身全然構わないけど、後でスタッフに怒られるから、お願いだから座って!」と焦った彼女は優しく僕に注意した。

ラップダンスを終えたら、次の攻めに入った。「この店の外で君と会いたい」と。彼女は木曜日なら予定が空いていると。

投入金額:$60
累計:$160

***

木曜日が来てもクレオから一日中連絡がない。そんなものか、ストリッパーの約束とは。泊まっていたホテルのロビーの若手スタッフは僕の毎日の行動を観察していた。日中は部屋にこもり、時々ホテルのジムを利用しているから、「貴方はUFCの格闘家ですか?」と、嬉しい勘違いをされた。アタランタの長期滞在の本当の理由を語ったら、「ストリッパーと店外で会うんですね。相当の多額を彼女に費やしたんですね。」とまたもや勘違いされた。「いや、別に。今までダンスを合計で8回やってもらって、$160しか彼女に払っていないよ」と言ったら、「あ、その程度の金額で店外で会ってくれるなら、彼女は貴方のことが好きとしか言いようがないです」と言われた。

アメリカの水商売の女の子の世界を知ることも大事だ。アメリカの表向きの文化は全てがお金だ。大抵のラップ音楽のミュージックビデオでは、野蛮な黒人が首に金のチェーンを飾って強がった歌詞を語る。実に金が無いものはカス同然の社会。それはどの街へ行っても見かけるホームレスの数とみずぼらしい状態からすれば、この国の社会には容赦がないことがわかる。ただし、お金があるからといって、好き勝手にできる国な訳ではない。このことをホテルの従業員は理解していなかったのかも知れない。金銭目的と純粋目的を識別することは難しいが、必要だ。

木曜の夕方にクレオからメッセージがやっと届いた。今日は残念ながら会えないと。僕は1週間近くアタランタに何の保証もなく滞在し、ストリップ・クラブへ毎日通い、クレオを口説こうとしたが、最終的に店外では会ってくれなかった。次の僕の予定では、カリブ海のトリニダード&トバゴへ行って、ブードゥー黒魔術について調査をする。問題は、その調査を終えたらどうするかだ。ここで諦めるか、それともクレオにかけて、アタランタに戻ってくるか。

ストリップ・クラブレポートの後半はこちら