ブルーゾーン: サルデニア

(夜に牧草を食べるサルデニアの立派な羊達)
地中海の中心にある、九州くらいの大きさの島「サルデニア」で調査を行った、いわゆる「Blue Zone」を紹介したいと思います。
Blue Zoneとは ?
Blue Zoneとは、世界に5か所ある、人間の寿命が例外的に長い(100歳超)地域を指します。Blue Zone は人々の生活習慣に重点を置き、本調査では Blue Zone に住む人たちの長寿の方法を明らかにしようとします。以下の地域が Blue Zone です:
・サルデニア島のオリアストラ州
・ギリシャのエーゲ海側のイカリア島
・沖縄県(全体!?)
・コスタリカの「ニコヤ半島」
・アメリカ合衆国カリフォルニア州のロマ・リンダ
この5か所の内、自分はサルデニアをよく知っております。当レポートは既に蓄積した知識に加え、4日間、サルデニア島の東南部「オリアストラ州」の山奥への小旅を通して学んだことと、気付いたことを記録します。

本調査は、自分の本で登場する「ナスタシャ・フィリポヴナ」(NF)を特別ゲストとしてレンタカーで連れてでの小旅でした。NF はロシア系のモルドヴァ人女性で、元々、Blue Zone を求めてサルデニアに到着した女性旅行者です。彼女の観点を通して調査を試みた理由は、実際の「ユーザー視点」を得るためです。自分自身、特に健康的な生活や長寿を求めている訳ではないので、人々が何故 Blue Zone に興味を持つのかが身に持って十分に理解できていないため、NF の同行は充実した調査の触媒になると判断しました。
Blue Zone は今や比較的によく知られているコンセプトで、国内旅行を促すためにイタリアのテレビドキュメンタリーにも紹介されております。しかし、イタリア国外では割とマイナーの情報のままで、かなりニッチで、都市伝説に近いコンセプトだと僕は感じております。従って、Blue Zone 観光というものが存在し、その市場に向けて情報が発信され、その情報を元に観光サービスが提供されており、特殊な観光市場内のニッチとして構成されております。しかし、これらのサービスに限り頼ってしまうと実際の長寿へのリンクよりも、Blue Zone 観光商品やサービスの方に重点が置かれてしまいます。それでは真の長寿への秘訣と、その期待を利用した商品の境界線が曖昧になってしまいます。
自分と NF はイタリア語を話せるため、Blue Zone 観光客ではなく、純粋にこの地域の人々の習慣を観察するために訪問することが元のものに忠実した調査法だと考え、そのように書かれております。
本レポートの構造:
- 僕自身が観察したもの
- NFのロードトリップ旅日記
- NFの旅日記に付せた自分のコメンタリー
こうすれば二人の重なる・異なる意見を比較することが可能で、 Blue Zone の真実に近づけるかと思います。また、③のコメンタリーでは、より深く NF の事情を掘り下げてリアルに Blue Zone を求める人の人格と、より幅広い社会背景に近づこうと思います。
サルデニアの環境
サルデニア島はスペインとイタリアの中間に置かれた島です。少し北のフランス領土のコルシカ島が最も近いです。活動停止中の火山と山が多く、中央から南まで平野が伸びていますが、それ以外は 700~1200 メートルくらいの山と沿岸部です。
気候については、サルデニア島の特徴とは「風」。地中海海面上を流れる強力な空気流に晒されることで、多くの日は強い風が吹いています。夏には猛暑が到来し、日本の蒸し暑さには及ばないものの、近年は気温が上昇しております。気候変動において現地の人々が最も懸念していることは「干魃」。砂漠化は無いですが、サルデニア島では農業が主なアクティビティで、雨が降らないと、夏の終わりに採れるワイン用のブドウや、秋に採るオリーブや、冬に家畜が食べる牧草の質と量が落ちてしまいます。自給自足、さらには余剰が可能な農業において干魃は人々の生活とムードに大きな影響を与えます。
その他にも、サルデニア島はイタリアのシチリア島と異なり、あまり経済的に発展しておりません。例えば、シチリア島へ行くと、ほとんどの森はなくなっており、農業のために土地は畑に変換されてしまっております。比べて、サルデニアは森ばかりです。これは何を意味するかというと、発展していない代わりに、森林などの見事な自然には産業の手がつけられていないままの島なのです。
サルデニアの生活習慣
サルデニアの主な業種とは観光と農業です。最南にあるキャラリ市が唯一の大都市で、それ以外は小さな街と無数にある農村です。本レポートの視界では、これらの小さな農村に焦点を当てております。
各農村には必ずイタリア本土のように「バル」がいくつかあります。主婦を除き、若者、高齢者、女性、ほぼ全ての住民がバルを訪れ、朝から新聞を読み、農村の他の住民とコーヒーを飲みながら話をしてから一日が始まります。世界各地の Blue Zone の共通点の一つは「コミュニティー」です。アメリカのロマ・リンダの宗教コミュニティーや、沖縄県の「もあい」(仲間同士が定期的に集まり、一定の金額を出し合い、集まった基金を一人ずつ順番に受け取っていくシステム)など、必ず家族以上のコミュニティーが長寿の一つの秘訣とされております。サルデニアのコミュニティーには気軽に訪れられるバルが必須で、コーヒーを飲んでからそれぞれ農地に入って仕事を始めます。
主な農業は酪農です。伝統的な遊牧をする「パストーレ」もいれば、名門チーズブランド工房に羊乳を卸売する牧師もいます。牧師の仕事で最終的に出来上がるチーズなど、農産物には主に二種類あります:
- Industriale: プロのチーズメーカーが販売用に大量に製造するチーズ
- Fatto in campagna/casa (FIC): 田舎で作られた・家庭で作られたという意味
サルデニアにはチーズ工房がいくつもありますが、何と言っても本格的なチーズは FIC の方です。FIC はチーズ職人というよりかは、ホビー、または家庭内で消費するためのチーズを指し、生の乳を使用しているため、ヨーロッパ連合の厳しい食品安全規制に従っておらず、一般的に店頭では販売されておりません。しかし、コミュニティーの一員であれば、身近に牧師がいるのですぐに手に入ります。FIC チーズの特徴は、放置してしばらくすると蛆虫が生えてくることです(低温殺菌処理されていないためです)。もちろん、チーズとは微生物が中にたくさん中に生きているので、これも自然のプロセスの一つです。蛆虫が生えてくるチーズと言われれば、ほとんどの人がドン引きするでしょうが、これはチーズが本物で美味しいという証で、その味は別品です。しかしながら、全ての家庭が FIC チーズを食べている訳でもなく、主にサルデニアの高齢者や田舎者たちが生産し消費するものです(ちなみにイタリアの田舎者は Contadino と呼び、日本文化でいう農民に近いです)。若者世代はよりモダンなテイストで、工業的なチーズが乗ったピザを食べるのを好みます。
僕自身、イタリアでピザを食べることは殆どありません。それは、いわばファストフードなためです。伝統的な FIC チーズからより工業的なチーズへの嗜好の移行は、サルデニアの文化が失われつつある一つの症状で、その原因は食品安全に関する、いわゆる科学者たちによる情報や教育や、大手銘柄が持つ広告宣伝力や、スーパーマーケットの優勢および全体的な市場の変化と拡大化の結果です。言い換えれば、FICはハイスピードな商業の時代についていけないのです。それでも、サルデニアではまだまだFICは強く残っていて、その理由は下記にて説明します。
農業、狩猟、そしてコミュニティ
環境と人の生活習慣は密接的な関係にあります。羊飼いに限らず、多くのサルデニア人は広い土地を所有しており、その土地に生えているものを収穫するのに周りの手伝いが必要になります。例えば、僕の友人達の場合、大きな土地を2つ以上持っていて、そこにはオリーブの木が生えて、毎年の10月〜12月の間にオリーブを収穫します。この作業は決して手軽ではなく、体力と忍耐力、そして時間が必要で、人が多ければ多いほど早く収穫できるものの、世界最高レベルのFICオリーブオイルでも、全くお金になりません。また、若者達は農地での作業を嫌がります。結果的に、営利目的の産業農業を除き、オリーブの収穫作業は老人など時間に余裕がある人たちがやります。同様に、多くの土地にある小規模ブドウ畑でも季節になると人手が必要な収穫作業があります。
他にも、冬になると毎週の日曜日に銃の免許を持つ村の男たちはライフルを持ってイノシシ狩りに出かけます。彼らが帰ってくると、車のバンパーに射殺したイノシシを飾り、やかましくクラクションを鳴らしながら夕方に村に戻ってきます(イノシシは畑を荒らす有害的な小動物で、イノシシ狩りは農村に大きな貢献をしています)。
つまり、コミュニティー内の「和」がある程度存在しないと、これらの作業に必要な協力が得られず、コミュニティー全体のマイナスになってしまいます。昔の日本の「村八分」に類似した観念でしょう。
しかしながら、これらの条件はイタリア本土でも言えることです:イタリア本土にもオリーブやブドウはあるし、コミュニティーは存在します。僕の意見では、サルデニアを含む Blue Zone の秘訣とは、物理的孤立だと考えます。イタリア本土では、どこにいても20分以内に首都ローマに繋がった道が見つかります。「All roads lead to Rome」という諺すらローマ帝国時代から英語辞典に存在します。しかしサルデニア島はイタリア本土から400キロ以上離れている離島なので、どの道もローマへ行きません。実に、島を離れるには夜間運行フェリーか飛行機が必要で、唯一の都市であるキャラリ市へ行くにしても、島の最南にあるキャラリ市へ行くにも時間がかかります。つまり、Blue Zone の一つの秘訣とは大都市からとても離れていることだと考えます。そして、FICがまだ盛んな理由は、時間を要する農作業に使える時間がまだ余っているからです。
文化、選択、そして長寿
大都市に近いと、人々は様々な自由に恵まれます。しかしながら、人に自由を与えてもその自由を活用して必ずしも良い決断を取る保証はありません。実に、日本の若者は村の生活を諦めて、大都市へ出向き、完全に違う生活習慣とスピードに晒されてしまいます。サルデニア島ではこういった選択肢は限られているため、村八分の文化がこの時代でもうまく保存されていると思われます。
その一つの証拠として、僕の周りのサルデニア人の高齢者の友達で結婚している人は、全員、幼馴染の彼氏・彼女と結婚しています。つまり、最初の彼氏・彼女=結婚相手です。この時代では考えられない文化ですが、それがサルデニアの老化しつつある文化の一つです:選択肢の乏しさが実は長寿、健康、幸福、文化の秘訣であるとのことです。
サルデニア島との繋がり
僕自身、サルデニアと長い関係を持っております。2020年コロナの真っ只中に自転車を船に積んで初めて訪れた時に1週間、2021年には合わせて1ヶ月半、2022年には半年、そして2024年には2ヶ月間。初めは世界最高のオリーブオイルに魅了され、次には女性のために何度も戻ってきた結果、そのオリーブの収穫に参加するようになりました。

サルデニア人の日常生活に溶け込んで体を動かしながらここに住むと肉体が物理的に変わります。


インド横断中のヒンドゥー・ダイエット・ボディー(37歳)と、オリーブ収穫中のサルデニアの体(35歳)
自分の体重は通常は82〜84キロなのですが、2022年にサルデニアにいてオリーブを1ヶ月間収穫した時は78キロにまで減り、体が引き締まったことを覚えています。
サルデニアでの生活の特徴の一つは、時の流れを早く感じることです。元に、2024年11月から2025年1月までサルデニアに滞在しておりますが、日々のプレッシャーがあまりないこと(自然とオリーブの収穫や仲間と過ごす時間以外、基本的に何もしなくても大丈夫です)を顕著に感じます。
ましては、オリーブの収穫で出来た友人が空き家と土地をいくつも持っている人なので、家賃を一銭も払わなくても立派な空き家に住ませてもらっています。毎日、その日の天気によって温泉へ行くか否か、仲間の畑を少し整理するか否か、夕食は何を食べるかなどと、自然に従った生き方をしています。強いて言えば、天気以外に何もないのです。そんな日が続き、あっという間に3ヶ月が経ちました。
その間の仕事の成果などはさておいて、これぞ古代ギリシャ神話で語られた「Golden Age」、いわゆる「楽園」での生活ではないでしょうか。実に、サルデニアは「Paradiso」と呼ばれております。プレッシャーの無さ、食の質と豊富さ、友人達と過ごす気楽な時間。時の流れ方が自然に沿っていること。これも Blue Zone の特徴では無いかと考えます。気が向けば、家をすぐ出ると庭にミカンとザクロが無数に生えています。リンゴが欲しければ、仲間の家へ行けばタダで分けてもらえる。ついでに、自分も収穫を手伝ったブドウで作られた手作りFICワインを一緒に飲んで軽い、どうでもいい話で笑いながら時間を過ごす。ギリシャ神話で語られた黄金の時代とは、そのような場所でした。
都会での生活と比べると、断然に都会の方が効率が良く、お金を稼ぐのに適した環境です。しかし、自転車の旅を長年続けて気付いたことは、都会に長くいればいるほど現実から遠ざかってしまいます。その現実を最も分かりやすく表しているのが「物価」です。物やサービスに当てられる定量的な価値。サルデニアの農村にいると、物価というものが存在しないようにも感じます。友人達が居れば、物々交換は自然にお土産の形で発生し、結果的にお金のことをほとんど考えなくとも大変豊かな生活が送れてしまいます。
問題は、現実とは何か。都会の方が現実に近いのか、それともサルデニアの田舎の現実の方が正しいのかが問われますが、少なくともサルデニアの一般の住民の中に溶け込んで生活をしていると、資本主義の焦らす仕組み(マーケティング、労働、所有権、などなど)から手厚く守られているように感じます。逆に日本へ戻ると「こんなショボいものがこんなに高い値段で売られているのか!!」とゾッとする時もありました(はっきりいうと白州のウィスキー蒸留所)。
【自然からの距離 = 現実からの距離】
この計算式を数字で表すことも可能なのかも知れないですが、距離を表すのに Km よりも 「移動時間」 の方が正確な測定法なのかも知れません。
ロードトリップ
Blue Zone の楽しい調査に同行する代わりに、NF に感想文を依頼しました。ところどころに僕の日本語のコメントを加えることで、「ユーザー視点」の理解を深めようとすると同時に、現代人の典型的なストーリーを語ろうとします。
長寿の秘密を探る
By ナスタシャ・フィリポヴナ
100歳、あるいはそれ以上まで生き、80歳、90歳になっても活動的に過ごすというのは、おとぎ話ではなく現実です。長生きしたいだけでなく、活動的に生きたいと思わない人はいないでしょう。そこで、大都市に飽き飽きした私は、環境を変えてみることにしました。
しかし、この話は少し前、2018年9月にサルデニア島に初めて来た時のことです。ただの休暇ではなく、探検するために。ロシアの文化首都サンクトペテルブルクの湿った気候の後、育ったモルドバの陽光あふれる活気ある雰囲気の方がずっと魅力的に感じられたのです。
NFはモルドヴァ生まれのロシア人です。旧ソ連では政策により国民の再配置が頻繁に行われていました。結果的に、現在、旧ソ連であるモルドヴァには原住民であるベサラビア系の人々と、上記の再配置によりソ連の地方から移動してきた人たちがいますし、トランズニストリアという、今でもソ連の旗を立てている分離主義国もあります。NFはタタール系の血が入っているので、上記の政策によりモルドヴァとロシア本土の間のコネクションを持っています。
私の体は既に太陽、ジューシーな野菜、木から採れる甘い「プラスチックではない」果物を強く求めていました。味覚は人生の味を求めて、本物の自家製チーズとワインを求めていました。私の心は、近所の人や通りすがりの人々とのゆったりとした会話に渇望していました。 「大都市の無関心な喧騒から遠く離れて! 海へ! もっと高く、山へ! 大地と人々にもっと近づきたい!」と私は決意した。
場所を選ぶ基準は明確だった。温暖な気候、たっぷりの太陽、チーズ、野菜、バター、ワインといった高品質な自家製品、そして海と山。「もっとたくさん欲しい!」と多くの人が言うだろうが、私は自分の考えを胸に秘めていた。そして、ついに見つけた! 島を選ぶのは当然だった。そこはそれらすべて、そしてそれ以上のものを提供してくれる場所だった。最初はイタリアに絞って検索した。インターネットで調べていくうちに、いわゆる「ブルーゾーン」に住む長寿の人々のことを知った。そこで、スーツケースだけを携えて偵察に出発した。
最初の着陸地は、キャラリ市中心部にあるバスティオン近くの岩だらけの場所だった。過酷なフライトで疲れ果て、最近ひいた風邪もまだ治っていない私は、緑に囲まれた中庭で地元のチーズとワインを堪能した。その瞬間、私は生命のきらめきを感じ、本当に自分の島を見つけたと確信しました。太陽が降り注ぐカリアリは、緑豊かな路地と活気あふれる小さな町の雰囲気で、故郷キシナウを彷彿とさせ、宮殿のような建築物はネヴァ川沿いの大都市サンクトペテルブルクの壮麗さを彷彿とさせます。そして何より、温かい海とチーズ、そして地中海の空気が溶け合い、完璧な景観を作り出していました。
ロシア北部の首都に戻ると、私は一つの疑問に頭を悩ませました。「どうすれば早くサルデーニャ島に戻れるだろうか?」。その夜、夢のような景色を望むキッチンでくつろいでいると、奇跡的に*サルデーニャ島中部の小さな村に宿を見つけることができました。11月末、私は再び島に足を踏み入れました。風は強かったものの、空気は温かく爽やかで、心を新たにしてくれました。この旅は、私にとって大きな転機となりました。**多くのことを諦めなければならなかったにもかかわらず、島に残るという私の決断は揺るぎないものでした。結局、失ったものよりも得たものの方がはるかに多かったことに気づきました。
* この村はユーラシアン・オデッセイで登場する、オリーブオイルが世界最高の「ヌーラジア」という町のことです。ここでトーレ氏の家で彼女は受け入れられ、居場所を見つけて、サルデニアの本当の文化に触れることができました。
** この部分は大変個人的なのでNF自身省略していますが、僕の知っている限り「多くのことを諦める」というのは、非常に控えめな表現です。実は、NFは癌にかかった旦那を置き去りにしてでもサルデニアへ行く夢を追求したのです。妻として最大の罪を犯してでも、Blue Zone の希望を求めた人間の真の目的はただのチーズとワインだったのだろうか。それとも、何か別の目的があったのだろうか…
そして2024年の秋、ちょうど6年後、同じ志を持つ人が見つかり、車にガソリンを満タンにして、サルデーニャ島を渡る長寿の秘訣探しの旅に出発しました。私たちの旅路は、海辺の村ボーサからマコメル市を経て、島の奥深く、そして高みへと向かいました。オリエーナ近郊の道を外れ、オリーブ畑とブドウ畑を散策していると、偶然、というかむしろ焼きたてのパンの香りに誘われて、引退したパティシエの家に入りました。キッチンにはジャムの瓶、様々な形の焼きたてのクッキー、そしてパイが溢れていました。ルッソリオという名の彼は、湧き水でコーヒーを淹れてくれ、自家製のショートブレッドとマルメロのマーマレードをご馳走してくれました。コーヒーを飲みながら、冒険に満ちた人生について語ってくれました。職業はシェフで、彼は地球の半分を旅したそうです。キッチンに並ぶティーカップの数々が、彼の経験の深さを物語っていました。引退後も彼は人々に「食事」を提供し続け、地元の人々のためにお菓子を焼き始めました。年齢は尋ねませんでしたが、80歳くらいに見え、家族はいないようで、幸せだと何度も繰り返し言っていました。
僕のことです。
その前に、オリエーナ近郊のアグリツーリズモに立ち寄り、タルトゥフォ(トリュフ)を添えた若いヤギのチーズとハーブを添えたリコッタチーズを味わいました。気さくな若いオーナーと、自然と調和した、隅々までが独立した物語となっているような景観設計を覚えています。
アグリツーリズモとはイタリアではよくある、農場に直結した宿泊施設のことです。格的にはB&Bとホテルの間で、田舎にあり、日本の旅館に近いものです。
ラヌゼーイ市とイルボーノ村の間にある魅力的なB&Bに一泊しました。オーナーのマリアさんは、全身から幸せが溢れていました。彼女の気持ちはすぐに理解できました。家は絵のように美しいエリアに位置し、果樹に囲まれ、山脈と海のパノラマビューを一望できます。農学者である彼女の弟に会い、自家製ワインとオリーブオイルを買いました。彼の工房を訪ねると、彼は様々な種類のブドウ、中には野生ブドウも含まれていたワイン造りの実験をしていました。朝、私たちのホストであるマリアが、新鮮なフルーツ、チーズ、卵、そしてもちろん様々な種類の自家製ペストリーで朝食を用意してくれました。マリアは以前幼稚園の先生として働いており、18年間も自宅でお客様をお迎えしています。「夫と私は大家族で、農学者から医者、建築家まで、あらゆる職業の人がいます」とホストは喜びで踊り出すように言いました。マリア、ありがとう!
イタリアの各地では自作のFICワイン、オリーブオイル、チーズなどを兼農家から直接買うことができます。政府は関与しない取引なので、最も自然な形の商売です。また、各地によって質が異なります。この点、ブルーゾーン指定のオリアストラ州のワインもオリーブオイルもチーズも、僕らが時間を過ごすヌーラジアのものに劣りました。また、長寿の人達は島全体に居て、オリアストラ州に限られないことから、ブルーゾーンの観光商売面が見えてきます。
そして、山々、秋のオレンジ色の森、そして緑の斜面を縫うように続く曲がりくねった道が私たちを待っていました。丘ごとに植生の種類が変わり、道中で出会った湧き水の味も変わりました。サルデーニャでは水は金と同等の価値があり、サルデーニャの人々は水を大切に扱います。旅の間中、私たちは一度も水を買いませんでした。
山地へ行くと、そこら中に泉を見かけます。泉から流れる山水はどこも微妙に味が異なり、スーパーでお金を使って買うよりも泉に行って家のために水を汲むことが一般的です。
アウスティス村にある暖炉のある居心地の良い伝統的な家に一泊した後、ガヴォイ市へと向かいました。まさに最高の旅でした。近所のデリカテッセンで、親切なトニーノさんから自家製の熟成ペコリーノチーズ(文字通りカウンターの下から)を買ったことに加え、黄金色の山々の斜面の間にきらめく湖の景色は息を呑むほど美しかったです。湖に突き出た、全く人のいない半島の岸辺で、買ったチーズとワインをつまみながら、最後の休憩を取りました。
この夜は僕の誕生日の夜でした。僕とNFはオデッセイが始まってから4年と、長い関係で、その長い間に色々ありました。2年前に彼女に裏切られて、その後、5ヶ月間サルデニアに停滞していた僕は野外で寝るなど、言語が全く通じないなど、様々な苦難に直面しました。その後、ウクライナへ行った後、突然ブロックされるなど、縁が切られていたので、彼女との今回の再会は予定外でした。それでも彼女は僕に寄って来たので、相手をして、終いに本調査の旅に付き沿うことに至りました。
誕生日の夜なのでもちろんセックスをするつもりでしたが、寝る前にウクライナの友達から電話がありました。「ジュリアン、君は誕生日の夜、誰かと過ごしているのかい?」と問われました。「すまぬ。ロシア人の女と一緒にいるんだ」と返しました。「ならば一つだけお願い事がある。ヤる時にウクライナに栄光あれと叫んでくれ」と言われました。
ビデオ通話だったので、自分の顔も見えていて、この言葉を聞いたら僕の目は野生的になり、命令されたかのように「はい!」と答えました。
この瞬間、ウクライナ戦争で命を落とした友人「ヴァニア」のことを思い出し、何があってもこの任務を果たし、ましては裏切り屋のロシア女をついに倒す瞬間をウクライナの栄光に献上する光栄な機会が到来したことを認識しました。天にいる英雄が見下ろして、笑って誇りに思えるようにやってやると決心しました。
その夜のセックスは特に激しく、例のアレも投入した状態だったので頗る野生的になっていました。本レポートの共同制作者が、裸のままベッドの上に無様にうつ伏せになった状態で、彼女を登り容赦なく潰すくらいの勢いでの股の間を強く打っていたら、快感、恨み、怒りと愛の噴火でNFの奥へと射精しました。30秒ほど息を取ってから、大声で「Слава Украине, Блядь!!」(訳:ウクライナへ栄光あれ、このクソめ!!)と、まだ倒れ込んだ彼女の上に乗った状態で耳に叫び込みました。
その瞬間彼女は笑いましたが、朝になったらセックスは許さず、「普通は「愛しているよ」とか言うはずなのに、貴方はガールフレンドをファックしたすぐ後に政治的な発言をするのは、気が知れないわ」と強く叱責されました。
「ガールフレンドだと?」僕たちはそんな関係ではない、と返した。かつては愛していて、今でも愛しているのかも知れないが、そのすぐ隣には裏切られた思い出の大きな憎しみも共存している。僕のウクライナの仲間達はバカなのかも知れないが、確かに仲間で、彼らのロシアに対する憎しみも確かに僕は背負っていた。そして、こんな町外れなブルーゾーンのど真ん中でさえも、ロシアとウクライナの戦いは続いていた。
しかしその憎しみの裏には、NFに対する別の感情もあった。NFはより良い生活を求めてブルーゾーンに来たと言うが、大変私的な情報を以前、僕に公開した。それは、彼女は女性ホルモンに問題があるとのこと。実に、彼女を知っている間、一度も生理は無かった。そう、彼女の真の悩みとは、不妊ではないのかと近々思うようになっていた。
そんな彼女にしてあげられることは、その夜にやったつもりで、生命を与えることができるならば、ブルーゾーンの夢と願望と挑戦に応えられるのかも知れないと思った。

ブルーゾーンの秘密とは?
私たちの観察によると、豊かな生活の秘訣、あるいはレシピは、いくつかの要素、つまり材料の組み合わせです。
- 自然
サルデーニャ島ではほぼ毎日、太陽が暖かく降り注ぎ、山々や森、オリーブやコルクの畑、海、白やピンクから黒や金色へと色づく砂浜や岩場を照らしています。そして、地中海の空気は、地域によって異なる香りのハーブの甘い香りに満ちています。
- 食
「私たちは自分たちで育てたり、生産したりしたものを食べます」―長寿の家庭の食卓でよく耳にする言葉です。彼らは主に野菜、葉物野菜、ハーブ、豆類、チーズ、オリーブオイル、パンを食べ、自家製の赤ワインを少し飲みます。豆類をミントと牛乳で煮込んだもの、ハーブスープ、あるいはパンとチーズ、オリーブオイルだけで済ませたものなど、島のほとんどの料理にオリーブオイルが含まれています。質の高い食事に加えて、彼らの食生活の節度にも注目すべきです。私たちの観察によると、長寿の人々は、休日には有名なローストポークも含め、あらゆるものを食べますが、量は少量です。
栄養学を学び、ブルーゾーンの食生活を研究する人の多くは、豆類が食生活の中心だと主張しますが、これはナンセンスです。サルデーニャ島に来て4年になりますが、地元の人が豆を食べているのを見たのは一度くらいです。
- アウトドアでの運動
この島での生活は、イタリア本土に比べてシンプルで自然体です。農家、羊飼い、チーズ職人が今でもよく見られます。私たちは、百寿者の若い世代を個人的に知っています。例えば、私たちはヌーラジア村で、数シーズンにわたって、二人の友人がオリーブの収穫をするのを手伝っています。78歳の年長者は、収穫時にスクオティトーレと呼ばれる手持ち式の機械を使って作業します。これは、先端に櫛の付いた長い熊手に似たもので、振動することでオリーブの実を上の枝から落とします。彼は数時間休みなく、揺るぎない落ち着き払った様子で、スクオティトーレを両腕を高く上げてまっすぐに持ち上げています。70歳を超えた若い方は、小型チェーンソーでオリーブの木々の間を飛び跳ねながら、古い枝を切り落とし、25キロのオリーブの箱を車に積み込んでいます。さらに、私たちの友人たちは小さな菜園とブドウ園を手入れし、ワインとチーズを作り、もちろん、友人たちと集まって、ちょっとしたユーモアのある前菜をつまみに楽しんでいます。
- コミュニティー
長寿の人の多くは、兄弟、いとこ、子供、甥、孫など、大家族で暮らしています。家族とのコミュニケーションとサポート、そして子供や孫とのコミュニケーションは、長寿の秘訣の一つだと考えられています。残念ながら、今回の短い旅行では、それを確かめることはできませんでした。しかし、私たちは、友人たちと同じように、彼らも人生の大切なパートナーと手をつないで歩むのだと確信していました。
これは本当かどうかは分かりません。少なくとも、僕たちのサークル内では、家族が居ない人は3人の老人男性と一組の夫婦。子孫が居ない家庭はとても多いように感じます。
統計上、過疎化が進んでいる西洋社会の中でイタリアは特に顕著で深刻な状態です。そして、僕たち自身もこの統計に入ることになるでしょう、なんとかしないと。
とは言いつつ、僕らが子孫を残さずいなくなっても、それが自然に何か影響を持つかどうかは、影響はないでしょう。文化を通してコミュニティーが何とか生き延びれば全体としては問題ありません。
長寿を追求することは僕自身あまり理解できません。家族以上のコミュニティーに溶け込めたとしても、家族を持つ訳ではありません。ブルーゾーンとは、個人が持つ願望よりも強い、希望の魅力があるように思います。果たしてその希望に応えられるのかどうかは、この島の豊かな環境をどう活かすかどうか次第でしょう。
サマリー
サルデーニャ島の本来の姿を保ち続ける動植物、自然で上質な食材を使ったシンプルな料理、新鮮な空気の中で、親戚や友人に囲まれながら歌いながら適度に、継続的に運動すること。これこそが幸せであり、長寿の秘訣ではないでしょうか。
私の変化に対する家族の反応は様々でした。親しい友人の中には、私がサルデーニャ島への移住など到底できないだろう、本気ではないと考える人もいました。兄は、ロシアにはチーズや海だけでなく、温かい場所もあると何度も言ってくれました。両親は比較的冷静に受け止めてくれました。少なくとも、私に質問攻めにすることはありませんでした。私はいつも、次の旅行や人生における重要な決断よりも両親を優先していたので、両親に時間的な余裕はありませんでした。そして、彼らはいつも私を信頼してくれました。しばらくして、友人たちは私がこの島を訪れ、部分的に暮らしていることを知りました。彼らは質問し、私を励まし、私が人生にこれほど大きな変化を恐れていないことに驚いていました。本当に恐れていなかったのは、それが必要なことだと分かっていたからです。本当に怖かったのは、サンクトペテルブルクの「偽りの安らぎ」に留まり、他人の人生を生きるという考えでした。
英語には「Mid-life crisis」(男性・女性の中年の危機)という概念が存在します。サルデニア島で出会った、競争社会に参加すること以上の生活を求めていた外国人女性は NF だけではありません。ド田舎のAirBnBや、Bosaのビーチ、至る意外な所で一人でサルデニアに来ている外国人女性と出会います。
彼女達は必ず現代資本主義社会に対して深い違和感を抱いていて、将来を真剣に悟った結果、この大自然の中でポツンと居る、30〜40代の女性達。テレワークが普及し、大都市の物価高騰に伴う生活水準の著しい低下、Blue Zone の情報が少しずつネットの隅っこから広まる中、NFのように、エデンの園への帰還を求める堕落した天使達が今後増えることが、皮肉を込めて、実は逆にサルデニア島にとっての大きな希望なのかも知れません。過疎化社会のイタリアの田舎には1ユーロで購入できる物件がいくつもあり、ネットで話題になっています。美味しすぎる話に聞こえて、確かに内装に3万ユーロかけなければならない紐がついていますが、同時に、確かにここでも地方過疎化問題の解決法が探されているのです。
サルデーニャ島については、何の疑問も抱いていませんでした。12月に吹く地中海の柔らかで暖かい風は、これからの適応への不安を吹き飛ばしてくれました。後になって疑問が湧いてきましたが、それは全く別の話です。この島に住んで6年、何度も島を離れましたが、必ず戻ってきてここを故郷と呼びました。100年後に何が起きているのか、誰にもわかりません。
結局のところ、長生きそのものは、その長さよりも、人生の質、いわば老後の活動性によって興味深いのです。そして、2025年を目前に控えた今、サルデーニャ島の90歳の高齢者たちは、朝はバーで友人たちとコーヒーを飲み、昼はワインを一杯飲み、地元の市場で買い物をし、80歳になった今でも、その多くは庭でオリーブの収穫、ブドウ園の手入れ、ワイン造り、自家製パンや地元のお菓子焼き、チーズ作りなど、活発に活動しており、ますます興味を失っている若い世代に秘密のレシピを伝えている。
サルデニアの若者たちが文化を保つための、農業が中心の自然に沿った活動に参加することに興味がないという問題が存在します。
問題の理由は:経済的な理由(兼業農業はお金にならない)、野心(若者達は何かを達成したがる)、そしてもちろん、遠くある大都市にはもっと面白い選択肢があること。果たしてサルデニアの若者たちは前の世代のように畑に戻るのだろうか?
時が経てばわかるが、見通しは良くない。僕たちが仲間と呼ぶサルデニア人達は皆年金受給者で、継続的な収入源を受けている(月間800ユーロ)が、若者たちは有意義な仕事を見つける必要がある(?)。そんな仕事はサルデニアにはもはや存在しません。
また、トーレ氏の息子がオリーブ収穫に参加しようとしたが、わずか30分で諦めてしまいました。
つまり、お金と成功への野心を捨ててまでもブルーゾーンのサルデニアに居たいという気持ちがこの島を本当に知るために必須です。この点、NFのようにこの島にコミットした外国人とはある意味パイオニアで、尊敬と注目に至る人間であることは間違いないです。
以上
